法華経徒然蔦#6

法華経徒然蔦#6
 #3でほのめかしたように、Aの本が実際に日本から送られてきた。早速読んでみた。2002年第一刷発行とあるから、今から6年前の著作である。内容的には自己暴露本である。宗教法人の会長という要職にある人間の本かというほどの衝撃的なことが書かれている。自分で告白しているので、別にここで隠す必要はないが、最初の私の趣旨に沿って、あえて具体的なことについては書かない。要するに家庭人として、ある線を越してしまったということである。
  このような内容の本をあえて私に送ってきた気持ちは如何ばかりのものなのだろう。Aが事件を起こしてから、奥さんとの関係は最悪になったのはいうまでもない。

 「8年半前、自分のしでかしてしまったことを私が妻に告白した時、彼女は心の底から私に対する思いのたけをぶつけてきました。  "私はね、自分が生きるということの意味を求めて、あなたと巡り会い、仏教を知り、『法華経』を知り、XX会の心を知って、雲一点もない心境になれて生きてきた。本当にありがたいことだと感謝して生きてきた。それをあなたはメチャメチャにしてくれたのよ。バカにするのもたいがいにしてほしい! 私にも、私を一所懸命に後押ししてくれている、親や先祖がいるのよ!"   私は妻に許しをこうことしか、出来ませんでした。そこから始まって、どういう因縁(わけ)で、今の自分が、自分たちが、ここにこうして在るのかをとことん夫婦で話し合って来ました。・・・・」
  無責任な書き方になるかもしれないが、Aが事件を起こしたことによって、夫婦の絆はより強いものになっただろうし、A自身の法華経の理解、又宗教家としての深さ味わいが出てきたのではないか。
  何はともあれ、Aは私が会ったときに感じた正直な人そのものある。普通なら、彼ほどの宗教団体のトップの座にいる人間は、このようなスキャンダルを隠し通す。恐らく、最初はそうしたのであろうが、きっと彼の側近の誰かが火に油を注ぐようにしたのだろう。また、正直者のAはそのしたたかな謀略に引っかかったのではないか。少なくともFはそう信じている。謀略があったかどうかは別にして、Aはあまりにも無防備なぼっちゃん会長であったことは間違いない。東京大学印度哲学梵文学科卒業というエリート宗教家は、子供の時から、宗教団体の後継者として厳しく育てられた。しかし、所詮坊ちゃん。世間の荒波など分かるはずがなかった。東京大学入学に際しても、大学教授が家庭教師につくというほどの環境で育っている。子供の時から、実母と離れ、伯母であるDの下で生活している。普通の子供がもつ健康な成長とは程遠い異常さが彼を涵養したのだろう。大きな教団の後継者として、「普通の子供のように育ててはならない」、そうAの父やDは思ったのだろう。しかし、子供は子供、周囲の期待や圧迫に耐え切れないものがあったのではないか。勿論、世に抜きん出る業績を残す人間の幼児期体験は異常である方が良いという考えもある。何はともあれ。Aは教団のリーダーとしての教育を施された。
 私の勝手な想像で書くなら、その異常ともいえる、教育のされ方が、普通の人間になりたいという潜在的な感情が宿っていたのではないか。それが、奥さんとの恋になり、またある線を踏み外す原因にもなったのではないか。この心理は私のように普通の家庭で育った者とは逆の方向性を示す。私などは異常への憧れがあるが、彼はきっと普通への憧れがあるのではないか。だから特別な人間との交流というより私のような者にわざわざ日本から自分の恥ともとれるような本を進呈してくるのである。

  ただし、この本は自己の恥を晒しただけでなく、法華経の教えをAの生き方を通して書かれたものである。
「私は、この本で『法華経』を、私が掴んだ『法華経』を語りたいと思います。・・・一種の狂信的な、あるいは洗脳をねらった宗教の本とは思い込まないでください。なぜなら、私はこの本でむしろ自分を語りたいからです。ただし、自分を語ることは、結果として『法華経』を語ることになる。・・・」 
法華経の教えについては、「法華経はXXX」で、大体理解(?)したつもりである。新しく送られてきた本でも、Aは法華経の教えについて書いているのだが、私には彼の生き様の方に興味が移り、ことさら法華経についての新しい知識は得られなかった。それより、前書の内容をよりAいう具体的な人格を通して理解できるようになったというのが本当であろう。
  ここから、Aの人間が理解できる箇所を、後書の中から抜粋する。
「私は俗な人間です。妻や家族、そして多くの人たちと生きて来ました。・・・私は、まったく不出来な人間です。妻や家族、そして私が人生で関わった人たちの、私に対する信頼を裏切り、悲しみ、落胆、失望、心配、迷惑、言い尽くせないような心労をかけてしまった人間です。」
  「私は、若い頃から、よく飲み歩いていました。自分でつけた理由は、一日のストレス解消、人様との付き合い、まあいろいろありました。でも、結局は飲みたかったのです。歌をうたってバカさわぎ、ゲイボーイの真似は得意中の得意でした。」
  「私は『XX会』の創立者の息子に生まれ、父の読経の声で、朝、目を覚ます幼児期を送りました。義理の伯母である前会長に育てられ、その遺志を自分の願いとして、会の後を継いだ人間です」
  「子供の頃からの私にとって、XX会とは一言でいえば伯母でした。伯母は強烈なパワーの持ち主で、人間丸出しといった個性の人です。感情の起伏も激しかった人ですが、聡明で純粋でした。私は伯母が好きでしたし、伯母の毎日の生活そのものだった伯母の“XX会"に共鳴もし、納得もしていました。」
  「当時、なにかの折に道路を独りで5分歩くのも、私にとっては快感をともなう冒険と意識されるほどでした。XXX会のカベの外に出ているといった、生理的開放感があったのです。」
  「実は、私にとって、(妻)との結婚は初めての自分主導の行動でした。彼女は伴侶であると同時に、私の最も身近な同志でした。当時の私は彼女を得て燃えていました。むろん私が将来、彼女の信頼を裏切り、彼女をあざむく所業をしでかすなど、当然のことながら自分自身、夢想だにしなかったのです。」
 「以来、数年間は、夫婦の間の熾烈なやり取りがありました。最も信頼した人間に、その信頼を裏切られたのです。彼女は言葉で、何百通の手紙で怒りをぶつけ、嘆き、私は謝ることしかありませんでした。何度も死を考えました。子供にも、私は大変な心の打撃を与えてしまいました。申しひらきの一言も言う資格がありません。しかし、妻との数年に及ぶやり取りの中で、私は徐々に自分の心が定まってきました。“なぜ”私は人生をふみはずしてしまったのだろう。自分はダメな男であることは間違いない。しかし、もちろんそう考えて自分の見直しが出来たなどということではありません。妻とのやり取りの中で、私は常に、“なぜ”を自分に問いかける何百日もの日を送ってきました。」

  
  なんと正直な人なのだろう。しかし教団として、この正直さを逆手に取る人はいるであろう。又少数ではあろうが、彼の素直な態度を許し、だからこそ在家仏教の指導者であると認める人もいるであろう。
 人間なんて者は、過ちを犯すものである。社会的に見て過ちと認識されるものから、心の有り様においても過ちの連続である。そのような過ちを犯す人間同士が認め合い、高めあうことが法華経でも述べられているのではないか。「OOしてはならない」、「XXはよくない」という戒律ばかりの中では息がつまる。Aの伯母Dの厳しさは必要である。しかし、あまりにも自己に厳しく、またそれを他に押し付けることは、熟していない人間の場合、軋轢しか残らない。宗教団体だけでない。どのような組織も組織としての機能を発揮するための掟が必要である。それと、ガス抜きも必要である。Aの性格からすると掟を盾に会員をグイグイ引っ張るタイプではない。会員同士の不協和音を調整する役が適しているようである。さりとて、それだけでは教団は動かない。本のあとがきで、「
実は私の属する『XX会』は、今、分裂状態にあり、私は心からそのことへの責任を感じて生きる毎日なのです。」と書かれている。Aの指導力からすると分裂は必定である。これも又無責任な書き方であるが、分裂するなら分裂すればよいではないか、人数ということに拘ると分裂は怖いが、心あるものだけの関わり、純度ということから考えると、Aから離れていく者は離れればよい。「去る者は追わず」である。このことが書かれたのは6年前で、この分裂騒動は終わり、Aは新しい彼の信じる、又彼を信じる人々と共に今歩んでいるはずである。   
そのようなAに、より親しさを感じると共に、エールを送りたい。私のようなあまり組織と深い関係を持たずに歩んできた人間にとって、Aのような存在は嬉しく、今後お近づきしたいというのが感想である。

木庵