法華経徒然蔦#5

法華経徒然蔦#5
 #2から#4まで、Aの著書を通して、法華経について述べてきた。何となく法華経の世界が見えてきたようで、又法華経の教えが今後の私の人生に影響を与えそうである。
 宗教家Aとの邂逅、そしてAの著書を読む縁を作ってくれたFについての関わりも、「今という一点で永遠と繋がる妙なる世界」なのかもしれない

   
   私の本家のブログを読んでいただけば分かるが、私は今アパート経営をしている。以前持っていた家を売り、そこから得た利益を頭金にしてアパートを購入した。その間に世話になった不動産屋さんがFさんなのである。
  ロス日系電話帳というのがあり、そこに不動産屋の写真つき宣伝がある。ロスでは女性の不動産屋さんも相当いる。まず女性、それに美人を選ぶというのが男の常なのだろう。
  電話をかけた。「今からアパート探しに出かけてもらえませんか」。「ハイ、よろしいです」。清々しい返事が返ってきた。これぐらいの機動力がないとダメである。「今忙しいので、明日はどうですか」などと言われたら、直ぐに次の不動産屋を探していただろう。
  彼女の車で3軒ほどアパートを見て、もう1軒見ようとして目的地に向かっていた。「すみません、止めてもよろしいでしょうか」と言うが早いか、車を路肩に寄せた。赤ちゃんカラスを発見したようである。カラスの赤ちゃん、傷ついている。「申し訳ないのですが、今日のアパート探しはこれぐらいにして、この赤ちゃんカラス病院に連れていても宜しいでしょうか」。私は、了承した。私も動物が好きだし、商売のことより、動物の命を大事にする彼女の人柄に感心した。「彼女に全てを任そう。この人なら、嘘がなさそうだし、きっとよいアパートを見つけてくれるだろう」。
   その後、彼女は良い情報も悪い情報も隠さず私に伝えてくれた。結局1ヶ月ほど色々な物件を捜すのを助けてくれたが、だんだん、彼女の生き物に対する感受性が生半可でないことがわかりだした。一切、生き物を殺さないのである。家に入ってくるゴキブリも殺さない。小さな壊れ物を掴むようにして、「お願いだから、これからはこの家に入って来ないでね」と言って解放してやるのである。ある時、ねずみが彼女の部屋に紛れ込んだ。それを飼いだしたというから、ただの動物好きではない。それも、彼女の家を訪問してまた驚きである、猫が二,三十匹、猫用の建物のなかで飼っているし、犬も七、八匹人間と同居している。それも捨てられて痩せこけ死にそうになっていた犬を連れて帰り、介抱して、飼っているのである。それぞれの犬や猫にはそれぞれの馴れ初めがあるのだろう。
  そういえば、今私が飼っている犬だって、彼女との関係で飼うようになった。あるアパートを二人で見にいった。玄関前に子犬がつながれていた。乾燥ドッグフードはいくらでも食べられる状態ではあるが、ひもに繋がられていた。犬好きのFさん、子犬に近づいた。この犬の持ち主らしい男が現れた。「1週間後にアニマルシェルターに連れて行く」と言う。「それなら、私にください」と、子犬を車に積んだ。それまではよかったが、「今私の家は多くの犬がいて、子犬を飼うスペースがないのです。すみませんが、1週間ほど、木庵さんの家で預かってもらえないでしょうか」ときた。仕方なく彼女の頼みを引き受けた。少しだけと思っていたが、情が移って、私が飼うことにした。

  
  犬は今では私にとって、かけがえのない家族の一員になっている。

  このような犬との出会いも縁と言えるのだろう。それもFさんとの出会いによって出来た縁である。先日A氏と出会うことができ、また彼の本を読み、私の知らない法華経の世界を覗くことができた。これも摩訶不思議な世界である。今という時点で、かくも妙なる出会い、それによって、私の心の変化が生じている。人生とは確かに「妙なる摩訶不思議な世界」であると、感慨深いものがある。

木庵