自然農法(わら一本の革命)#17(特別編、岡潔論#4)

自然農法(わら一本の革命)#17(特別編、岡潔論#4)
<#3で紹介した岡先生の言葉に注目する。「よくない種子をまいたのは進駐軍だが、しかしそれをはぐくみ育てたのは日本人である。それでも原則から悪くしたのに害がこの程度ですんでいるのは、日本人が情操中心でこれまでやってきた民族だからで、欧米のように意志中心の国なら、すみずみまで原則に支配されるからもっとひどいことになっていたに違いない」。GHQは日本文化破壊を企み、現に巧妙な施策で日本人の心を変質させてきたことに木庵も関心を持っている。ところが、岡がいうように、「日本人は情操中心の民族」なので、文化支配が浸透しなかったという。情操中心の文化というのは、日本人なら誰でも理解できる。近頃木庵が始めた俳句の世界から、この情操文化を覗いてみる。5,7、5の短いフレーズの中に、身近な自然を描写し、そこに自分の気持ちを反映させるのはまさに情操である。何かを直接主張しているわけではない。主張するなら長いセンテンスが必要であり、論理が必要である。論理を超えた、一瞬の自然の変化に響き合う心を表現しているのである。そこに共感を覚える。日本人は身近な世界から普遍性を見ることができる希な民族である。ところで、そのような日本人の特性を表現している木庵の句を紹介する。『露映す無限の底に空青し』
少し理屈っぽいが、露、我々が生活している小さい世界にあっても、宇宙と触れ合うことが出来ると言っているのである。このような情操、情緒の世界に生きる日本人にアメリカは意志の文化を押し付けようとしたが、表面的な組織や構造を変化させただけで、そこに生きている人間の心まで改造することはできなかった。木庵はアメリカに住んで30年になるが、アメリカ文化の意志力を感じる。それはアメリカ社会の隅々までいきわたる法律である。それにアメリカ人の顔に意志力を感じる。目をむいて、外界からの刺激に対応しようという顔である。アメリカは周囲が敵であるのでその敵に対処しなければ自分がやられてしまう。そのための防御としての意志が重要になってくる。そこには自分を抑えるのではなく自分を前面に出し、自己主張丸だしの利己主義、自己主義の意志力である。それに対して、周囲と調和し、自己を前面に出さず、柔和で穏やかで優しい表情を日本人はよい顔と見る。日本人は意志が前面に出るのではなく情緒が隠れている顔を良しとするのである。木庵>


「43年十月22日に新聞の紙面をにぎわす出来事が起こる。奈良県のPTA研究会に招かれた岡は、前日に起こった左翼学生による新宿騒乱事件をめぐって『責任の一片は、人格と人格が触れ合う教育を怠った日教組にある。とくに小学教育では、学問より人間教育が大切だ。この点、組合の司令通りに動くような教師よりは、父兄の中から教師になった方がいい」と言い放ったのである。『岡先生の理想の学舎は自身が学ばれた旧制高校でした。それが崩壊し、学生は騒乱を起こすようになった。先生としては居ても立ってもいられなかったのでしょう』。九州大学准教授の高瀬正仁さん(58)は当時の岡の気持ちをおもんばかる。もちろん日教組は『組合の団結権を侵害し、結成の自由を否定するもの』と岡を講師に招いた県教委に抗議したが、宮之原貞光委員長の本音はこうであった。『過去の人の発言に目くじらを立てることもない』。横山さん(#3で述べた)によると、世間が岡を忘れても、『孤徳の人』である岡自身は教育について黙々と研究を続け思索を深めていったという。横山さんは訴える。『本当の意味で世界は今転換点にあります。しかし、未来にむかってリーダーシップをとる思想はどこにも見当たりません。私は岡先生の思想こそが未来につながるものだと考えています。いまこそすべての日本人に先生の著作を読んでいただきたい』。

日教組功罪論がある。功もいくらかあるのだろうが、罪の方が大きい。先ず教師が教育労働者であるという認識にたったことが大きな間違いがあった。それに、左翼勢力(民主勢力、平和を守る勢力というごまかしの言い方がある)に指導された、イデオロギー集団と化した日教組が教育から離れて、教師の生活向上を第一に考えるようになってしまった。教え子を戦場に送ったことを反省し、平和教育を目指すといえば格好はよいが、所詮GHQの日本弱体、日本文化撲滅に日教組が乗っただけである。反米を唱えながら、アメリカの思惑の中にはまり、親中、親ソという売国主義集団に成り下がったのである。戦前の師範出身の教師は、教師になることを天職と考えていた。戦後の4年生大学教育学部を卒業した教師は、「デモシカ先生」が多く、教え子が将来民主化路線を受け継いでくれる同士になるように教育していった。また他の労働者と団結し、またリードして、日本を二度と戦争を起こすことのないように、平和教育を行おうとした。大東亜戦争侵略戦争であり、戦前の指導者は大衆を悪の道に導いた悪人であり、小林多喜二を筆頭とする平和主義者は日本が悪い方向に行くのを体を張って抗議し、中には獄死した者もいたという考えにたった平和教育なのである。日教組運動は別に戦後突出したものではなく、マスメディア、学者集団の後押しがあり、彼たちの行動の罪悪性を薄らげている。また不思議な現象も起きている。大部分の教師は、このイデオロギーに完全に洗脳されてはいない。彼等は組合員である前に日本人である。いくらイデオロギーで強圧されようと彼等の内なる情操(情緒)の世界まで侵されていない。ほとんどの教師は純粋無垢な子供の前に、日本の情緒を捨ててはいない。だから、いくら原則の教育をGHQに押し付けられても、日教組幹部から押し付けられても、何とか健康な児童を育てることが出来ている。ただし、岡が理想とする戦前の教育まではいかない。それは国家の基本とするところがあやふやになっているので、教育をする主体の教師に主体的であれと望むは無理である。つまり、教育を岡先生のように、日教組だけに罪を背負わせるのはかわいそうな側面もある。しかし、日教組自虐史観の子供への押し付け、左翼政党との結託した悪行には断固強い態度で臨まなければならない。彼たちの無謀さを許すと、日本の国家そのものが消滅する恐れがあるからである。木庵>

<#4の最後は[ koreyjp ]さんのコメントを紹介し、それに対する木庵の反応を書く。木庵>

私が好きな岡先生のエピソードのひとつに、猫を拾った話があります。あるとき、先生がお弟子さんの女性と話しながら道を歩いてゐると、道端に子猫が捨てられてゐた。「先生、こんなときはどうすればいいのでせう」ときかれた先生は、どうしていいか分らなかったので、その猫を拾って帰った。ミルクで育てたのでミルと名づけた。これは余談であるが、寒いとき先生はミルをマフラー代わりに首に巻いてゐたといふ伝説があるが、真偽のほどは分らない。ミルは先生によくなついて先生の布団の中でお産をした。そしてだんだん歳をとって弱くなったミルは、もうひとりでは先生の布団に入る力がなくなってゐた。先生はミルを布団の中に入れてやった。ミルはそこで死んだのだった。
2009/4/29(水) 午前 1:24 [ koreyjp ]
山岡鉄舟は無刀流(?)の達人であった。若かりし頃の山岡が道場で座禅すると、彼の気迫に鼠がぴたっとどこかに姿を隠していったという。ところが、晩年の山岡が座禅を組むと、どこからともなくやってきた鼠が山岡の膝や肩に乗りじゃれていたという。結局道を究めた人は動物とも心の交流が出来るのであろう。岡先生は猫をマフラー代わりにされているが、木庵の猫は木庵が昼寝するとき、猫も木庵の胸の上でゴロゴロ昼寝するのが唯一の楽しみにしている。ふだんは コンピューターの上で寝ているのだが。またこのごろ、犬がやってきても逃げることなく、犬に体を舐められて、嫌がっているが、その嫌がり度が段々少なくなりつつある。この猫は知り合いが、コンドミディアムに引越しするとき、猫を飼えないというので、木庵に飼うようにたのんたものである。最初、我が家にきたとき一週間ほど姿を現さなかったシャイな猫が、先ほど述べたように私の胸の上で寝るようになったのは驚きである。木庵は山岡の鼠との関係の話を知って、どれだけ動物と交流ができるか実験しているのである。ある人が言っていた。彼は犬が好きなのだが、「犬は死んでから天国に行く」と。近頃木庵は木庵の犬によく囁いている。「天国に一緒に行こうね」って。木庵>
<一応ここで、岡潔論を終える。また本でも読めば、再度挑戦することもあるだろう。木庵>