ビルマ(ミャンマー)#21

ビルマミャンマー)#21
どうやら、だいたいの国力は、天然資源開発ばっかりに捻出されてるらしい。
欧米らの経済制裁によって、国がにっちもさっちもいかなくなるからこそ、
一番頼りなる国ってのが、CHINAってことですわな。
分かっていることでは、他に何やってるんでしょう?

ミャンマー政府は豊富な資源を背景に資源外交を展開しており、アメリカや日本などの自由主義諸国が人権問題から制裁を強めるなかで、中国は国連安全保障理事会でのミャンマー民主化要求決議案に拒否権を行使、その直後に、ミャンマー軍事政権は、中国国有エネルギー会社の中国石油天然ガスミャンマー最大のガス田を譲渡している。また中国は、1994年6月から大ココ島(Great Coco Island)を賃借し、南下政策を実行、レーダー基地と軍港を建設して、インドに対抗する拠点としている。さらにミャンマーの軍港を中国海軍の軍港として使用することでも合意、中国はインドを包囲する軍事戦略上の優位を獲得している。
またまたWikipediaより引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

・・・文字通りの売国奴
ビルマの元宗主国である英国が、アウンサン・スーチー女史を立てて、もういちどビルマ天然資源の利権をとろうとしてるのは、当たり前しょ。

きっと、民主化で、少なくとも今よりはずっとマシな生活を国民は送れるようになるとは思う。
         きっとそれで欧米は

「弾圧された国民の解放という評価」

「中国への資源供給ラインのひとつの断絶」

「天然資源のゲット!」

一石三鳥ぐらいは、ねらってるでしょ。

だって、英国だし。アメリカだし。

もう一国、ミャンマーへ経済援助してる国。
         もちろん、日本。 
        日本政府の、経済援助の目的って何??

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    ミャンマーの軍事政権が中国に急接近している。同国民主化のシンボル、アウン・サン・スー・チーさんの軟禁問題で日本や欧米諸国が経済援助を止めているためだ。中国はこの間隙を縫ってミャンマーでの影響力を急速に拡大し続けている。
 同国最大の都市ヤンゴンの西側外交筋によると、中国はスー・チーさん問題で国際的な非難を避けるため水面下での援助を継続・拡大している。これに伴い、中国企業の進出も徐々に増えている。この背後で活躍しているのが華僑たちで、ミャンマーの国境貿易の4分の3が何と中国との取引となっているという。
 また、ミャンマーの最高実力者、タン・シュエ国家平和開発評議会(SPDC)議長はヤンゴンから内陸の小さな町ピンマナに首都を移転し、多くの国民から顰蹙をかっているが、中国は新首都ネピドの建設に積極的に協力。み返りとして、重慶から雲南省経由でミャンマーシットウェイに至る石油パイプラインの建設計画を原則的に認めさせたという。
 中国は驚異的な経済発展の中で中東石油への依存度を深めており、インド洋からミャンマー経由で石油を手に入れようと全力を挙げている。交通量が多く、海賊の危険もあり、戦時には米軍によって簡単にタンカーを止められてしまう可能性のあるマラッカ海峡ルートだけでは心配だからだ。しかも、中国はインド洋に浮かぶミャンマーのココ島に人民解放軍の通信基地まで建設してしまった。これが厳しい国際政治の現実だ。(信太 謙三)

謎に包まれたミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長
ミャンマーの「新首都」ネピドー(Naypyidaw)を訪れた中国の唐家セン(Tang Jiaxuan)国務委員(左)と握手をかわすタン・シュエ(Than Shwe)国家平和発展評議会議長(2007年2月26日撮影)(c)AFP(注木庵:写真は消えてしまった)
【9月26日 AFP】ミャンマーの軍事政権が首都をヤンゴン(Yangon)から同国中部の森林地帯ネピドー(Naypyidaw)に移してから、その実態は謎に包まれたままだ。

 軍政のトップを務めるのが、タン・シュエ(Than Shwe)国家平和発展評議会議長だ。

 現在、実権を握る軍政は1988年9月、タン・シュエ議長らが率いる軍部が独裁体制を敷いたネ・ウィン(Ne Win)将軍へのクーデターを決行。1992年にタン・シュエ議長が軍政トップに就いた。それ以来、ミャンマー軍事政権は秘密主義的な政治を貫いている。

 早くから軍人としてのキャリアを築いてきたタン・シュエ議長は心理戦部隊に所属した経験を活かして、民主運動家アウンサンスーチーAung San Suu Kyi)氏や、その他のライバルを排除してきた。

 専門家らによると、タン・シュエ議長は軍事的な戦略やミャンマーの伝統に加え、占星術などのオカルト的な思想に基づいて政策を決定するため、その行動は予測しがたいという。

 首都移転の際のエピソードがその典型的な一例といえるだろう。2006年11月7月、タン・シュエ議長は占星術のお告げがあったとして、突然、ミャンマー中部の森林地帯にあるピンマナ(Pyinmana)周辺に首都を移すことを宣言。官僚らは数時間以内に荷物をまとめて、移動するよう求められた。しかし、ネピドーと名づけられた新首都は、まだ水道や電気といった基本インフラも整備されていなかったという。つづく