田丸美寿々#2

田丸美寿々#2
 当時大蔵大臣へのインタビューというと男性に決まっていた。ところが男性スタフが出払ってしまっていて、急遽田丸がインタビューを任されることになった。大蔵省の奥の大臣室に通された田丸やカメラマンは大臣椅子にライトを当てるようにして待っていた。ところが、大臣はなかなか現れない。そこで、茶目っ気のある田丸は大臣の椅子に腰掛けてみた。その時、渡辺美智雄大蔵大臣が入ってきた。田丸は慌てて席を立とうとしたが、「 まっ、そこ座って、私はここに座るから」と田丸が座る予定だった折たたみいすに座ってしまった。突然のインタビューだったので、普段から思っていたことを質問した。「お札に描かれているのはなぜみんな男性なのでしょう。ひとりぐらい女性が入っても、たとえば樋口一葉とか・・・」「そえはだね。お嬢ちゃん。今回の新札は、にせ札防止が一つの目的でね。偽造しにくいように高度な技術で細かく印刷するのよ。だからややこしい顔の方がいいの。樋口一葉は若くして死んでしまったから、顔に皺もないし髪も真っ黒。それじゃ簡単に偽造できてしまうんだな」
 独特の栃木弁で説明する大臣のコメントを聞いて、田丸は思わず笑ってしまった。5千円札の新渡戸稲造岩手県出身)が決定されたことも、当時の総理大臣鈴木善幸岩手県出身)への渡辺のおべっかいであったことまで喋らせてしまった。これを見ていたプロジューサーは「これは男にはできないインタビューだ。田丸の電撃インタビュー。よしこれで行こう」ということになった。

  これ以外にまだ多くの面白い逸話があるが、興味があれば、実際に本を読んでもらうとしよう。田丸は失敗をおそれず、大胆なところが彼女の良さであろう。
 もう一つ、田丸のジャーナリストとして好感がもてる話を紹介する。1982年(昭和57年)、日本航空が羽田沖に着陸直前に墜落した事故があった。その時K機長は精神鑑定が必要になった。ところが、マスコミにとって、24名を死亡させ、150名もの重軽傷者を出した当事者の顔をせめて少しでもよいから見せて、視聴率を上げたいという思惑があった。当時人権についてそれほどうるさくなかった時代である。その熱意というか圧力に対して警察が折れ、病院の玄関から車に乗るまでの数メートルの間だけ撮影を許可した。田丸は他局より良い映像を撮る作戦をたてた。「よし、ロープをこえて、機長が歩くように歩きながらレポートしよう」。「あ、だれだ、フジの田丸だ。チクショウ!引っ込め、協定破りだ」。ところが、田丸は平然と「K機長はまもなくここを歩きます。警察病院で精神鑑定を受ける予定です」。ところが一瞬田丸は、k機長の立場になったような気になった。「k機長も、これほどの報道陣を予想していないと思うんですが・・・こうやって実際に彼の立場にたってみますと、さらし者にされているような感じがするんですよね。機長はこれから精神鑑定を受ける身です。警察も、何もここまで歩かせる必要はないんじゃないかと・・・私自身は今そんな気がしています」とやってしまった。  
   そのあと警視庁からフジテレビに処罰が言い渡された。本当は警察批判に対する報復をしたいところであっただろうが、そうだと言論の自由を警察が干渉したことになるので、次のような罰則になった。「貴社のキャスターが報道規制のロープをこえた。その『報道規制違反』の罰として、フジテレビ記者は5日間の記者クラブ登院停止』というものであった。視聴者や週刊誌で行き過ぎという批判の声があったり、彼女に同情的な見方もあった。ただ、社内での温かい目で見てくれている人がいたことが、田丸にとって救いであった。

 確かに田丸のわき目もみない猪突猛進が災いしたのであるが、逆に彼女のこのような性格が好感を持たれるようになるのも興味のあることである。いつも優等生のコメントだけするようなキャスターなら、NHKで仕事すればよい。少なくとも民放という在野勢力であるなら、これぐらいのことのはみ出しはどんどんやってもらいたいぐらいである。
つづくhttp://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/23521801.html