櫻井よしこ、異形の大国中国#17 

櫻井よしこ、異形の大国中国#17
   中国が狙うもう一つの国際標準は無線LANである。岸は説明する。
「これはパソコンなどから情報を飛ばす際の技術です。同分野がWiFiという規格で事実上、市場を支配していました。ところが中国政府はWAPIという国家標準を作った。もし、中国政府が国内はWAPIでなければ駄目だと言えば、米国はWiFiを売れなくなります。当然、この件は米中間に深刻な摩擦を引き起こしました。04年4月に、呉儀副首相がWAP義務付けの導入を無期限に延長すると発表し、一応、問題は小休止しています」
   だが、岸は米中両国の妥協は一時的なものに過ぎず、いずれ中国と米国の摩擦は再熱すると見る。中国が独自の無線LANの国際標準化にこだわる背景には、米国を凌ぐ大国化を目指す政治的野心も透視される。
   固定電話のインフラが不十分な中国では、携帯電話の普及速度はめざましい。今後、携帯に無線LANの機能が付加されれば、爆発的に成長する可能性がある。巨大市場が予見されるとき、その国際標準を取って、中国自身が潤うべきだと彼らは考え、実行しつつあるのだ。また、独自の無線LANを用いて、米国の技術への依存をなくせば、中国国内の情報を盗聴される恐れもない。経済活動及び情報管理の双方で中国は主体性を保ち、いかなる形でも米国に支配されなくて済む。中国の米国へのライバル意識は強く、だからこそ、国際標準獲得のための中国の努力も多岐にわたる。 
   中国政府の理二系人材の育成への力の入れ方は、「技術覇権主義」と呼ぶべきものだ。海外留学組の優秀な人材の呼び戻しにも熱心だ。「海亀派」と呼ばれる帰国組には旅費、帰国後の研究開発費、住居、車をはじめ、種々の特典が提供される。結果として、1978年の改革開放政策以来、すでに数十万が帰国した。3G携帯の開発を主導したシューもその一人であることはすでに指摘した。
   こうして開発、または模倣した技術を国家標準に格上げするには、国際標準化機構の幾十もの委員会に代表を送り込み、幹事国として議論を自国有利に導くことが重要だ。中国はそのための人材も育ててきた。田井はこう語る。
「中国の国策としての世界標準への取り組みには驚嘆します。日本が国際会議に10人出席するとしたら中国は数十人規模、また彼らは驚くほど優秀で、上海交通大に落ちた人が仕方なく米国の名門、MITに行ったといわれるくらいです。標準化会議では英語やフランス語が飛び交います。そこに送り込まれる人材は、まず、自国の技術を熟知して、その利点を英語などで力説し、主張し、説得する能力を備えていなければなりません。この種の会議では10年20年と同じ会議に出席して顔役になることも大事です。日本の人事システムでは難しいこうした人事を、中国はじめ諸外国はしているのです」
   これらの委員会は、大国も小国も皆、一国一票制だ。中国はODAの供与、武器売却など、あらゆる手段でアフリカ、アジア諸国に支持を広げてきた、標準化を審査する委員会でも中国の国家ぐるみの対策が奏功しつつある。では日本の対応はどうか。岸が憤る。
「国際標準化の持つ深刻さを本当に理解している政治家、官僚は何人いるのか。日本は恐るべき空白の中を漂っているのです」
   日本のもの作りの水準は高いから大丈夫と言う認識で安心している場合ではないと岸は憂う。そして指摘する。もの作りでは逆立ちしても日本にかなわない中国がいま高く掲げているのは、「三流国は製品を売り物にする。二流国はブランドを売り物にする」という教訓だ。では、一流国は何を売り物にするのか。国際標準である。日本は国家も企業も経済の仕組みが大転換していることを、見間違えてはならないのだ。
   キャノン顧問の丸島も、日本の対応は余りにも鈍い、と強い危機感を抱く。国を挙げて取り組む重要性への認識もなく、またそのシステムも整っていないため、各企業がバラバラに動き敗北に至るというのだ。日本にとっていま大事なことは、国家としてまとまることだと強調する。
「かつてキャノンに勤めていたとき、デジタルカメラを世界標準にするべく尽力しました。当時は国内でわが社と富士フィルムの2グループに別れ、激しく対立していました。しかしそれでは国際社会で敗れる。我々のもの作りも無意味になる。そこで富士フィルムさんと話しました。最初はなかなかわかってもらえませんでしたが、最後に納得し、規格の統一が実現しました。国際標準をとって今では世界の80%のシェアを占めています。自分の企業だけが得をしようと思うと、日本全体として負けてしまう。だからこそ、協調して、その後で競争することが大事です」
   丸島は、日本の企業に日本国を担うという意味での連帯観や協調心が薄らいだことや、行政府が企業をまとめ、指導できないのは、米国の長期的戦略に日本が嵌ったからだと見る。
「米国はかつての日本の護送船団方式の経済に敗れました。これを崩そうと、中曽根政権時代に民活を進めさせ、行政府の権限を奪いました。一方米国は反対に、かつての日本のような垂直・水兵両面にわたる共同開発をどんどん認めていきました。これが米国の産業競争力を高めたのです」
   訴訟も含めて、米国市場での熾烈な闘いで勝ち残ってきた人物の言葉だけに、強い説得力を持つ。
   「防衛も外交も米国任せの戦後日本は、全き意味での国家ではないのである。国家たりえていない日本が、国際標準という国家的要素を最も必要とする難問に直面しているのが現状だ。国と企業、企業と企業が、共に対処しなければ、日本はジリ貧国家に成り果てる。そのことの深刻さに今気づかなければならない」と、桜井は結んでいる。

<今から10年ほど前、一流企業の戦士であった人が、通産省のことをこっぴどく酷評したことを今思い出す。「戦後の日本企業のアメリカ進出は通産省の指導、後押しがあったからだと思っている人が多いが、実際は企業の努力で達成されたのです」。彼は細かい例をいくらか挙げていたが、要するに「通産省は企業を邪魔していた」と、力説していた。少し話は逸れるが、木庵はアメリカ人から2×4方式の住宅を日本に売る仕事を手伝わされたことがあった。これは日米貿易摩擦の緩和のため、日本政府が住宅関係の規制緩和をおこなったため、私たちのような個人が2×4住宅を日本に販売することが出来るようになったのである。阪神地震の後、私の知り合いを通して、実際に2×4の家を建ててくれという話が持ち上がった。ところが、そのアメリカ人はやる気がなくなり、実現できなかった。アメリカ人は高校教師であったが、2×4で実際に彼の双子の弟と10件ほど家を建てた経歴がある。彼の住んでいた家も山小屋も二人で建てたのである。一流企業の戦士の言い方には、日本政府、通産省は日本企業を後押しするより、上の2×4住宅の話のような規制緩和とは逆の規制をして、ビジネスをスムーズに行なえなかったことを非難していたのである。
  この企業戦士の活躍した時代には、日本企業がアメリカにスムーズに進出できるアメリカには包容力があった(それほど日本に規制をしなかった)。ところが、あまりにも日本の進出が強烈で、「ちょっと待った」と、アメリカが防御策に乗り出し、結果としてアメリカ国家がアメリカ企業をサポート、防御する体制が出来た。それに対して、日本は国家が個々ビジネスに深く関与せず、企業は企業だけの努力で発展していったのではないか。その結果標準規格化などの問題が生じてきたとき、アメリカや支那らの国家戦略に日本は太刀打ちできない状況になりつつあるのではないか。
   戦後、日本の企業の世界進出に、間違いなく日本政府の強烈なサポートがあった。いつの時代もサポートはあるのであろうが、日本企業が実力をつけて、もはや日本政府のサポートのようなものが逆に邪魔になったのではないか。そして、現在、いくら日本企業が肥大化したとしても支那、ロシアのような国家的戦略によって、個々の日本企業だけでは対処できなくなっている。例えばレアメタル獲得競争において日本の一企業では勝てない。なぜなら中国政府をバックにした企業が値段を引き上げ、メタメタルを日本ではなく中国に流れるようにしてしまっている。マグロや大豆なども同じ現象が起きている。
   そのような時代に際して、桜井の「日本が国家としての指導力を取り戻すべきだ」という提言は説得力がある。しかし、国家と個人の距離関係が時代によって違う。戦争を遂行するためには、国家と個人が一体化しなければならない。戦後左翼は、国家との離反としての個人主義を唱えているが、結局のところ国家主義である。このあたりの議論が十分された上で、桜井も国家論を進めていかなければならない。結論は出ないであろうが、まず議論の足跡は残すべきである。木庵>