新erasusさんへの反応#10

11)現在、保守の役割は重要である。近頃の日本の共産主義者社会主義者は表立って、革命を唱える人は少なくなっているが、改革という名を借りた革命希求主義者である。表向き、柔らかく改革を主張しても、その裏に牙が潜んでいる。スターリン毛沢東の大量殺人を生んだ共産主義が如何に人類に大きな悲劇をもたらしたかは、もう人類の常識になっている。
12)ここで、共産主義がなぜ、大量殺人、特に粛清という悪弊を生んだかということを考察する。つまり、共産主義者、革命主義者は、歴史に謙虚ではなかったためである。過去人類が生み出した英知を無視し、自由奔放に新しい国家、社会を構築しようとしたことが、悲劇を生んだのである。過激すぎるのである。その構築のプロセスで無理が生じ、いつしか人間の本性である弱肉強食が顔をだし、共産主義とは名ばかりの専制主義国家が誕生してしまったのである。
13)このような共産主義国家の失敗を人類が経験し、ようやく近頃、保守が脚光を浴びるようになってきた。
14)カール・ポパーは、共産主義華々しい時代に、共産主義の欺瞞、脅威を警告した。必然的歴史の発展法則、つまり、封建主義、資本主義、社会主義共産主義への移行は、歴史的必然であるとする共産主義的科学主義(弁証法唯物史観)を、擬似科学主義と糾弾している。現在、ポパーの考えは正しかったと言えるが、所謂偉大なる思想家、哲学者と称されていた人の中に、共産主義の本質を見抜けなかった人が多くいた。ここで、実存主義者として、いまだに世界的人気を保持している、ジャンポール・サルトル、それに彼の愛人シモーヌ・ド・ボーボワァールについて少し述べる。
15)サルトルは「人間を未来に投機する存在」という実存主義を唱えた。彼の晩年は共産主義者に変身したかと思わせるところがあった。ベトナム戦争反対運動を推進しているが、共産主義への幻想からの政治運動だと揶揄されても仕方がないところがあった。「毛沢東の暴力は深い倫理観に基づいている」と、いうようなことを発言し、現在では嘲笑の的になるであろう。ボーボワァールも、「毛の行使している権力は、例えばルーズベルト以上に独裁的なものではない。新生中国の憲法は、一人の手に権力が集中することを不可能にしている」と、政治的認識を疑うような発言をしている。
16」サルトルやボボワールのような偉大(?)な哲学者でも、歴史認識を間違うという、知識への懐疑の前提の上にたって、保守も間違う可能性があるという謙虚な態度が必要である。その謙虚さは自己反省、ときには自己否定を伴うものである。
17)現在活躍している言論人の中に、人間のもつ誤謬性を認めようとせず、保守本流であるようなポーズを示す知識人の欺瞞性を今後追求するであろう。
木庵

最後、17)での追求が、北岡批判であろう。

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1) 河本と甘粕、同一人物ではない。私の単純ミスであった。ここで、修正する。
2) コミンテルンの影響力についての見解が違うようだ。そこで、田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)の中で、ヴェノナ文章について書かれた本(英文)を日本再生会の目良氏と井上氏が要約したのを、木庵が要約したのを載せた。まだ掲載されていないが、井上氏のコメントに注目してもらいたい。「1995年になってヴェノナ資料が公開されることになって、初めてアメリカ人は自分自身の歴史を省みる機会がでてきたのである」。 ヴェノナ資料について、日本でも紹介されているのだろうが、一般の人はそれほど関心を持っていないようである。両人には全文翻訳出版を願うものであるが、そう簡単ではないようである。ただ、二人が長文の英文を精読し、その要約を書かれたことに敬意を表したい。私は両人の了承の上、彼たちの要約の要約を載せている。昨日、彼たちのブログを見ると、目良氏の全文が掲載されていた。それを読まれることを勧める。

        http://blogs.yahoo.co.jp/japanrebirth/3840684.html
     (日本再生会研究会SCのブログアドレス)

  以前大統領選挙インタビューで紹介したファガソンさん、彼は強固な反共主義者で、自分のローカルのテレビ番組を持っているのだが、彼の最大の関心はヴェノナ文章であると言っていた。マッカーシー旋風以降、この運動が行き過ぎであったという風潮があった。しかし、1995年以降、アメリ国益にそぐわない活動に対して厳しい見方が生まれている。井上氏が述べている。「戦前、戦後にアメリカがソビエトのスパイが簡単に活動できる土壌があった」と。その状況は戦後の日本と同じである。例えば朝鮮総連社会党が結びつき、朝鮮総連の傘の下、北朝鮮のスパイが簡単に活動できた。そのことを日本人は深刻に考えていないようだ。憂うべきである。長野の聖火リレーでかくも多くの中共留学生が出現した。このことから想像しても、日本の各種の秘密は中共に筒抜けである。産業スパイなどと仰々しくいわなくても、いとも簡単に日本の最高の技術が情報が、中共のよる日本の優秀な技術者の引き抜きによって流れている。日本はスパイ活動王国なのである。またスパイが大手をふるって活動できる言論環境がある。田母神のように正しい歴史認識(この言葉には異論も予想されるが、日本国の見地からすれば正しい。前記したように航空幕領長が民間懸賞論文に応募することの善し悪しは別にして)を述べると、かくも彼が軽薄で、馬鹿であるかのような論を展開する人が多い。こういう論法も結局中共に組することになる。仮に田母神の行為が航空幕領長として相応しくないとしても、それほど表立てることはない。それを表立てる輩は、結果的に中共の戦略に嵌められているのである。かりに田母神の行為が軽率であったと断定しても、彼は正しいのである。彼は日本のために動いた愛国主義者である。それだけのことである。

3)満州建国は吉田松陰以来の日本の知識人の常識であり、石原莞爾はただ一番乗りしただけであるという見解、興味がある。石原を過大評価しないことというのも面白い。永田鉄山を陸軍きっての秀才というが、その実像があまり浮かんでこない。そこで、ウィキペディア永田鉄山が優秀であるということを彷彿させるところだけ、抜粋する。
 
永田鉄山
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
長野県諏訪郡上諏訪町本町出身。陸軍幼年学校、陸軍士官学校をいずれも首席、陸軍大学校も2位で卒業する秀才ぶりで、軍務官僚として常に本流を歩み、「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」と評される人物だったが、陸軍内部の派閥抗争に絡んで陸軍中佐相沢三郎に暗殺される。皇道派の領袖、陸軍大将真崎甚三郎を教育総監の要職から更迭したことが暗殺の引き金となっている。死亡当時、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将。
郡立高島病院長永田志解理の子として生まれ、、1898年(明治31年)9月に東京陸軍幼年学校に入校する。なお、高島尋常小学校・諏訪高等小学校では「お天気博士」の愛称で知られる中央気象台長の藤原咲平と同級であり、同じく諏訪出身で岩波書店創立者である岩波茂雄らとは生涯にわたって交友があった。
つづく